多くを語ることはないけれど、自分だけの個性を解した表現で、モデルとしても女優としてもクリエイターからの信頼を得るモトーラ世理奈。16歳でデビューしてから、自分らしくステップアップをしてきた彼女の視線の先に今、見えている世界とは? 24歳になった彼女が秘める少女のようなピュアな感性と静かに燃える意思。強い決意と希望を胸に、モトーラ世理奈の新章が幕を開ける。
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元気とパワーが湧いてくる。伝説のスタイリスト・北村道子との特別な時間。
今回のGIRL OF THE MONTHは、75歳のスタイリスト・北村道子さんがモトーラさんをモデルに指名して実現した撮影でした。日本のファッションとカルチャーを牽引してきた伝説のスタイリストとの撮影はいかがでしたか。
最初に道子さんとお仕事をしたのは、2021年の「VOGUE JAPAN」の撮影でした。そのときも思いましたが、道子さんとの撮影は元気とパワーが湧いてきて特別なものです。今日の撮影も私を選んでくれたと聞いて嬉しくて、道子さんの服に対する深い審美眼を近くで感じて勉強になりました。特に最後の「ドリス ヴァン ノッテン」のフラワーのルックは、着るとグッと気持ちが入って服と向き合う時間をもらったような気持ちでした。今日の撮影では北村道子さんのほか、日本のファッションシーンをつくる先輩クリエイターたちが集まりました。多くのクリエイターがモトーラさんと仕事をしたいとラブコールを送りますが、ご自身は自分のチャームポイントはどんなところだと思いますか。
自分を客観的に見ることは、なかなかできなくて言葉にするのは難しいです。自分で気付くことは難しいんですけど、人から言ってもらえる言葉でなんとなく自分のことがわかることもあります。モトーラさんが言われて嬉しい褒め言葉は?
かけてもらえる言葉はなんでも嬉しい(笑)。今日の撮影で、道子さんに「モトーラは、フラジャイルだけど強いのよ」って言ってもらえたのも嬉しくて、大切にしたい褒め言葉です。90秒チャレンジの中で、今年やりたいことは「ローラースケートでノリノリにダンスすること」と回答。2021年のGIRL OF THE MONTHでもローラースケートの話をしてくれていましたね。
はい。一昨年、誕生日プレゼントに買ってもらって、実は一年以上乗ってなかったんですけど、この間ついに後楽園にあるスケートリンクで乗ってみたんです。そこで普通に滑ることができたので次は、80年代に一世を風靡したアイドルグループの光GENJIみたいに音楽に乗ってノリノリに踊りたいな、って(笑)。興味を持ったきっかけは何だったんですか?
日本でも昔流行って、日本にもそのカルチャーがあるのは知っていたんですけど、今は海外で流行っているみたいで。この間LAに行ったときにもビーチ沿いでスケボーとローラースケートをやっている人がたくさんいて、ローラースケートをしながら踊る「ローラーディスコ」とかもあるみたいなんです。そういうところに行って、踊れたら楽しそうだなと思っています。モトーラさんは同世代のスタッフたちとも多くご一緒されていますが、撮影や作品作りの中で同世代のチームだからこそ大切にしていることはありますか。
仕事の中では、同世代だからとか、先輩だからということはあまり関係ないと思っています。フォトグラファーの石田真澄ちゃんとは、高校卒業をしてから同世代で遊んでいた中で出会って以来、プライベートでも仲良し。けれど、仕事ではモデルとして、フォトグラファーとして、お互いにそれぞれの役割で向き合っています。プライベートでは友達だけど、仕事現場ではお互いの役割をリスペクトする、そんな関係です。
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シャツ ¥154,000、ストール(左) 参考商品、ストール(右)¥88,000、スカート ¥159,500、シューズ ¥127,600/すべてDRIES VAN NOTEN(ドリス ヴァン ノッテン) タイツ/スタイリスト私物
居場所はほかにもあるかもしれない。パンデミックを経てさらに強くなった思い。
10代でデビューをしたモトーラさんも今、24歳。心の変化も体の変化も含めて、10代のころと変わったなと感じることはありますか。
心はあんまり変わっていない気がします。体や見た目は、自然に変わるところは変わってきましたが、それは成長というか自然の流れ。そこの部分では抗ったり、何かをするっていうことではなくてありのままを受け入れています。昔の写真を見ると子供だな、大人になると顔が伸びるんだなとは思うんですけど(笑)。モデルとしても女優としても表現の幅を広げていますが、今後のご自身のキャリアのプランをどう描いていますか。
女優の仕事はこれからも続けたいんですけど、一度、海外に住もうと思っていて。実は今年、ロンドンにしばらくの期間滞在しようと思っているんです。ロンドンは、コロナ前にも行って、昨年も一度行ったんですが、そこで出会った友達や人々が温かかったので、いいなと思いました。小さい頃から留学に興味がありましたし、私の場合は居場所は日本にあるけれど、ほかの場所にもあるような気がしていて、ずっと海外に住んでみたいと思ってました。自分の居場所はどこだろうではなくて、ほかにもあるような気がする。素敵な考え方ですね。
父はイタリア系アメリカ人、母は日本人で、私にはいろんなルーツがありますが、ずっと日本で育ってきたので私自身は自分は日本人だと思っています。でも、日本にいるとハーフっていわれ、アイデンティティについて考えることも多かったです。だからこそ、ほかの場所にも私の居場所があるのかもしれないと思うようになりました。海外に住みたいという思いのきっかけはどういうところからだったんですか。
英語を喋れるようになりたいと思ったのがきっかけです。モデルとして海外のスタッフと仕事をするとき、英語が話せないと自分の思ってることを伝えられない。英語が話せないというだけで、自分の思いが伝えられないのはもったいないと思いました。本当は、20代前半のうちには海外留学したいと思っていたので、今の24歳という年齢はちょっと遅いぐらいだなと自分では思っているんです。21歳のときにパンデミックが起こってそこから3年間、外に出たくても出られないという状況だったので、私としては今、やっと!という気持ち。何があるかはわからないけれど、失敗してもいいし、私には日本という戻ってくる場所もある。行かないことには道は開いていかないとも思います。具体的には海外でどんなことをやってみたいですか?
将来的に演技をするチャンスがあればいいなとは思います。けどまずは、英語が喋れるようになることが目標。今はその環境に身を置くために、夢や目標を周りに話して実現することにフォーカスしています。
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ドレス ¥242,000、パンツ ¥27,500、スニーカー ¥135,500/JUNYA WATANABE(コム デ ギャルソン)
強くありたい。24歳の今だからこそ語れる夢と目標。実現に向けて、花開くとき。
20歳のときに、20年後のことをうかがったインタビューでは「母になっている自分の姿」を想像していると話してくれました。その思いは、今も変わっていないですか。
20歳のときも本当は海外に挑戦したいと思っていたんですけど、そのときは恥ずかしくて言えなかった。自分に自信がなかったんだと思います。本当は違う思いがあったんだけど、そのときの私は言えなくてそう答えたんだと思います。今は自分の夢や思いを伝える自信がついてきたということですね。
そうですね。言わないと!自分が強くならないと!という思いが強くなってきました。思いも夢も自分で切り開いていかないとって。4年越しの思いを今日知ることができて嬉しいです。思いを口に出すことで、物事がうまく回っていくこともありますよね。
はい。言ったからには行かないと!と退路を断つ気持ちです。友人でモデルの岡崎圭吾くんが昨年、半年ほど韓国に行っていたんですが、彼も韓国に行くって言ってから3ヶ月くらいなかなか出発しなくて、「あれ、いつ行くんだろう(笑)。お別れ会したのにまだ日本にいる(笑)」っていうのを見ていたので、今日のインタビューでも話して、自分を追い込もうと(笑)。けど、実際に韓国に行った彼は向こうで友達がたくさんできていて、いいなと思って。刺激を受けて、私も決心がつきました。最後に、モトーラさんはこれからどんな風に年齢を重ねていきたいですか。
子供心を忘れずにいたいです。それでいうと今日のスタッフのみなさんみたいに年齢を重ねていけたら素敵だなって。ロケバスでもずーっと他愛もないおしゃべりをして(笑)。けど、仕事は真剣。このまま小さくなって、子供になったとしても変わらないんだろうなって(笑)。ピュアな心を持ち続けている人って本当に楽しそうで、一緒に仕事がしたくなります。私もそんな大人になれたらいいな、と思います。