長らく芸人とOLの二足のわらじを履きながら、独自のキャリアを切り開いてきた大久保佳代子。「仕事選びは尻軽に」とユーモアを込めて語る彼女の生き方は、ただがむしゃらに頑張るだけではない、まわりの人間関係や環境に身を委ねることの大切さを教えてくれる。そんな彼女の生き方から、自分らしく人生を歩むヒントを探して。
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そこにキラキラした世界があったから…。
身を任せてたどり着いたお笑いの世界。大学の卒業在学中からお笑い芸人としての頭角を現し、卒業後は流れるように今の事務所に所属したという大久保さん。相方の光浦さんとはお笑いサークルでコンビを組まれて、デビューをされているんですよね。
相方の光浦さんとは、同じ愛知県出身で小学校の頃から同級生。大学でお互いに関東に出てきていたタイミングで、お笑いサークルに入ろうよと誘われたのがきっかけでした。最初は、発表会でネタを作って発表する程度だったんですけど、大学4年の時にプロの事務所にネタを見せに行こうとなって…。それが今の事務所。田舎の子が東京に出てきて、芸能事務所みたいなキラキラしたところに入れるのなら、1回試してみたいなって思ったんでしょうね。
国立大学で学ばれ、職業の選択肢もいろいろとあったのではと想像するのですが、お笑い芸人として生きていくという決断に迷いはありませんでしたか。
昔から、自分で何かを決断するということが苦手で、流れや空気に身を任せるタイプ。光浦さんがサークルに入ろうと誘ってくれて「いいよ」って返事をし、オーディションでネタを見せ行こうと言われて「あ、行こう行こう」、「人力舎入れてくれるんだ、ありがたいね。それならやってみよう」というふうに…。正直、まだ学生気分も抜け切れていないから、芸能界に本気でぶつかってくぞって感じでもなかったんです。当時は、同じ大学の友人も就活が大変そうで、第1希望の会社に受かっているかといえばそうでもなかった。だったら、どうなるかは分からないけど目の前にあるお笑いの世界でやるだけやってみようと。親にも芸能の事務所に入ったことは事後報告でした。
ご両親の反応はどうでしたか?
私に面と向かっては何も言いませんでした。私の地元の同級生と会うと「あの子は一体、何をしとるの」みたいなことは言っていたみたいなんですけど(笑)。確かに、千葉大という国立大学を出て、普通の企業に入らなかったのは親としては多分、悔しい気持ちもあったと思います。けれど、見守ってくれたっていうんですかね…。ありがたかったですね。
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相方だけがテレビ番組のレギュラーに。
仕事がなくバイト感覚ではじめたOLとの二足のわらじ。大学卒業後、お笑い芸人としてのキャリアをスタートさせた大久保さん。私たちは“OLで、お笑い芸人の大久保さん”の姿を長くテレビで見ていた印象があります。どのような経緯でお笑い芸人とOLの二足のわらじを履くことになったのですか。
1992年にスタートした『とぶくすり』というバラエティ番組で、光浦さんだけがレギュラーに選ばれたんです。彼女はテレビで忙しく、ブームになっていく一方で、単純に私には芸能の仕事がないわけです。そうすると働いてお金を稼がなきゃいけない。そんなときに、たまたま月~金曜日に定時でできるコールセンターの会社に入るんですね。私の気持ち的にはバイトなんです。ただ、仕事がまずまずできてしまうので、アルバイトの中でもどんどん昇給していって、いろんなことを任されるように(笑)。お金を稼ぐためのアルバイトをしているつもりが、月~金で働くOLさんと広まっていった形です。
コンビで1人だけテレビ番組のレギュラーの座を得た光浦さんに対して、焦りや嫉妬はありませんでしたか。
5~6年コンビをやっていて一方だけ売れたら「なんで?」と思うのかもしれないけど、まだデビューをして1年も経ってないときの出来事だったので「こういうものなのかな、今はタイミングじゃないのか」なんて思っていました。悔しさが1%もなかったというのはもちろん嘘。番組自体を見ないようにしていたので、あまり目に入れたくなかったんだろうなと思います。でもまだ20代だったし、テレビが無理ならと土日にやっている社会人中心の劇団に入ってやっていまたね。昔だと『ぴあ』の“WANTED MEMBER”のところに「社会人中心の劇団作ります。良かったら!」みたいな募集がかかっていたので、それを見て。表現するなかに足を踏み入れておきたいという気持ちはずっと持っていました。
大久保さんがお茶の間でより広く知れ渡るきっかけとなったのが、バラエティ番組『めちゃ2イケてるッ!』。破天荒なユーモアが炸裂していると思いきや、抜き打ちテストの企画では地頭のよい優等生で…。お笑い芸人の中でも新しいジャンルを切り開いている印象でした。大久保さん自身はその当時、自分の居場所がテレビという場で広がっている感覚はありましたか。
『めちゃイケ』自体は、すでに固定のメンバーで始まっていて、そこに光浦さんの相方ということでゲストに呼ばれるようになりました。最初は、遅れて入っていることもあってどういう作り方をするかもノウハウも全くわからないんですよね。でも、ディレクターさんに台本をもらったり、指示をもらったりしながら求められていることになるべく沿いたいなと思ってやっていました。その当時、自分発信と光浦さん発信の両方があるんですけど「性欲が強いんですよ(笑)!」みたいに、当時だとありえないようなことを言いはじめたタイミングがあって。そのあとに今日良かったよって言われて、これも正解のひとつなんだと。これが面白がられるのなら、じゃあ次は?と手探りでやっていました。そしたらゲストで呼ばれる回数がどんどん増えていって、レギュラーでいいんじゃないってなったんです。
芸人として自由奔放にやっているように見えていたけど、実は大久保さん自身も手探りで、試行錯誤していたということでしょうか。
『めちゃイケ』って、実は台本の部分も多かったんですよ。でも、台本だけやっていてもしょうがないというのは感覚としてあったので、台本をなぞりながらもこれを足してみようとか、ずれることをちょっと試してみようとかはやっていた気がします。結果、オンエアをみるとばっさりカットされているんだけど(笑)。そんな風にやっている姿とかも、よかったのかなと振り返ると思いますね。
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“OL”というキャラを失うことへの葛藤も。
もうひとつの居場所が心の支えに。『めちゃイケ』のレギュラーになり、お笑い芸人としての仕事がどんどん忙しくなるなかでもコールセンターの仕事は40歳手前までやられたそうですね。
お金的にはね、いつでもやめられるタイミングはあったんですけど。結局、ズルズルしがみついてやりましたよ(笑)!
お笑い芸人として生活ができるようになっても、OLの仕事を続けていたのはどうしてですか。OLを辞めたのはあまりにも忙しすぎて、ゴミ袋を持ったまま出かけてしまったのがきっかけとか?
そう!ゴミを捨てようとゴミ袋を持ったまま、マンションから散歩に出て気がついたんです(笑)。当時、もう40歳手前で「OLです!」なんてテレビでほとんど言ってないんだけど、お笑い芸人1本に絞る決意がなかなかできなかった。“OLの大久保さん”というキャラでテレビに出させてもらうようになったから、そのときは「しょうがないよ、大久保さんは半分素人なんだから」って何事もハードルが低くなるんですよ。これがOLを辞めて芸人1本となれば、他の芸人さんたちと同じステージに立つじゃないですか。そうすると、今までOLだからと逃げていたことから逃げられなくなるし、自分が戻れるところを作っておいた方がいろんなストレスからも逃れられるんじゃないかと。逃げ道って言い方が正しいかはわからないですが、自分が進める道を1個よりは何個か作っておいた方が困ることが少ないのかなと。
実際もコールセンターでの勤務は続けていたんですか。
週1~2回は出勤していましたね。すごく優しい会社だったんです。たまに来て3時間ぐらい電話とって帰って行く私に対して、本当は辞めてくれないかなと思っていたかもしれないんですが、ずっといるから誰も言えなくなっちゃって(笑)。
それでも芸人1本に絞ろうと思ったのはどんなことがきっかけだったのですか。
それはもう物理的にです。それまでは、なんとか時間を作って週1~2回出勤していたんですけど、優先順位がテレビの仕事、舞台の稽古、OLの仕事ってなると休みが1日もなくなるんですよね。これはちょっと無理だ、それならしょうがないと…。本当はいつでも戻れるように休職でもいいかなと思っていたけど、会社に伝えるとそれは残念だねと退職届が出てきたので、退職せざるを得ませんでした(笑)。
OLというもう一つの居場所があったからこそ得られた笑いのセンスや助けになるものはありましたか。
『めちゃイケ』とかのテレビの仕事をした翌日は、電車に乗ってお弁当を持って会社に行くんです。決まった時間に電車に乗って、決まった時間に電話をとって、銀紙に包んだ冷たいおにぎり1個とコンビニのスープで1時間のお昼休憩をして…。17時の定時で上がった後は、ジムで1キロ泳いで帰ってとかね。そういう規則正しい生活のおかげで、普通の感覚をぶれずに持てたことは今思うとよかったなと思います。それに、お笑い芸人の仕事1本だとやっぱり波があるじゃないですか。今週は忙しいけど来週は暇みたいな…、それがOLをやっていると定期的にスケジュールが埋まるので精神的な安定も得られていました。
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仕事の選択は尻軽に。
20代から変わらない向き合い方。今年50歳を迎えられた大久保さん。20代、30代、40代、そして今と年齢によって仕事の向き合い方に変化はありますか。
仕事への向き合い方は、ずっと変化していないと思います。もらった仕事で、悔しいとか嫌な思いをしたくないというのがベース。失敗しないで、70〜80点を取れるように頑張ろうっていう気持ちですね。言おうと思っていたことを勇気がなくて喋れなかったとか、トーク番組で何も思いつかなかったとか…。せっかく呼んでもらったのに仕事ができなかったとき、昔は3日引きずっていたこともあったんですが、こういう思いをしないために目の前の仕事を70点以上でやって、夜はそんなにまずくないお酒を飲みたいと。20代は仕事が少なかったけど1個1個やって、30代でも同じようにやって、いまだにその感覚はありますね。
失敗してしまったときはどういうふうに気持ちを立て直しますか。
40歳前半ぐらいまでは、仕事の失敗は、結局仕事でしか取り戻せないと思っていました。次の日の仕事でよっぽどウケるとか、よっぽど共感されるとかがあれば昨日の仕事の失敗は上書きされて、OKになっていましたね。今も失敗したときは、次の仕事で頑張るしかないと思っているんですけど、年齢を重ねて図々しくなって、私ってこんなもんだろうと、いい意味で引きずらなくなりましたね。
そういうふうに思えるようになったのは、何歳くらいからですか。
ここ数年間。45歳ぐらいまでは欲があって、自分ができると過信しているから、何でできなかったんだろうとモヤモヤするんです。けど、いや、私ってこんなもんでしょって思ったら、2時間の収録で2言しか喋っていなくても、こんなもんだし、こんな日もあるよな。だって私だもんって。くよくよして反省するのは、自分のこと過大評価しすぎだよって言葉を先輩から掛けられたことがあるんですけど、そうだよねと納得しました。ただ、もっと!もっと!という気持ちがないと駄目な気もするんで、できなかったときはちょっとだけ反省はしますけどね。
今や大久保さんの生き方は、女性の生き方のお手本の一つになっていると思っています。自分自身が人生を楽しむためのコツはありますか。
本当に? なんでだろう…。結婚していなくても仕事も一応ちゃんとやっていて、みたいなところなのかな? もともと環境に身をまかせるタイプなので、自ら選択をしてきて今に至るわけではないんです。30代から『めちゃイケ』をやって、その後30代後半ぐらいからいろんな番組に出るようになるんですけど、気づいたら44、45歳で、そのときが仕事のピーク。45歳になっていて、この年齢だと出産や家族を持つこともなかなか難しいなと思っているうちに体力もなくなってきてね。30代の頃は、夜は飲んで遊んでいたのに、だんだんと夜に出歩かなくなって出会いがなくなり、今は仕事をして家に帰って寝るという生活に行き着いただけなんです。なんなら、40歳前後で冷静になって婚活をするとか、休みをきちんととって人と会うとか恋愛をするとかしておけばよかったなと思っていますよ(笑)!
恋活はできなかったかもしれませんが、かっこいいなと思うのは大久保さんが人間的にも経済的にもひとりの女性として自立し、自分の人生を謳歌しているところ。経済的な自立は、女性にとっても大切なものだと思いますか。
お金を稼げる状況があるなら、そこに性別は関係なくて稼いだ方がいいと思う。「すごい幸せ」はお金では買えないかもしれないけど、快適さとか快楽とか「ある程度の幸せ」は買えるんだから。いいホテルに泊まって気持ちいいなと思ったり、いつもより高いワインを買って帰ったり、そんなことで意外と気持ちが上がるし、くよくよしていたことがどうでもよくなるもの。もちろん、お金で買えない幸せはあるけど、ある程度、自分を回復させることはできる。そういった意味で、自分で稼ぐための技術や知識は今のうちからつけておいた方がいいと思います。
仕事の幅は年齢を重ねるについて広がっている大久保さん。お笑い芸人としてだけではなく、コラムの執筆やラジオ、役者、文化人としての立場でコメントを求められることもあると思います。そんななかで、仕事を選ぶポイントや大切にしている基準はありますか。
バラエティー番組に関しては、よっぽど体力的に無理なものや行ったら怪我をしてスタッフさんに迷惑をかける恐れがあるものはやらないですけど、他はまあまあやりますね(笑)。ロケもトーク番組もやるし、大久保さん何でもやるよねって言われる方だと思う。別にポリシーでも何でもないんですけど、仕事は尻軽にやらせてもらってます(笑)。ちょっとこれできないかなと思っても、現場行ってみたら意外となんとかなるんで、基本的には身体的に無理っていうもの以外はやりますね。
尻軽に?
みんなだってそうだよ。なんでも尻軽にやったほうがいい。何かにつながるかもしれないし、どう転がるかわからないから!今、これを意味があるのかなとか、これやってこうなったら嫌だなとか思うこともあるけど、意外とこうだったという発見もあるし、もしそれがしょうがない現場だったとしても、それはどこかでまた飲んで喋ればいいというのもあるしね(笑)。
乗り気じゃなかったけどやってみたらよかったな、ラッキーだったなと思った仕事はどんなものですか。
もうキャリアがたくさんありすぎで、仕事の内容を相談されたときに私にできるかなと思っても実際、現場に行ってやったら忘れちゃっているんで。これやらなきゃよかった、やってよかったというのは特にない。それがもう尻軽の証だね(笑)。でも、1回乗っかっちゃったものに対して、あれがどうだったって言うのはかっこ悪いじゃないですか。私、振り返らない女なんで!
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年齢を重ねると失敗はしなくなるもの。
20代こそ失敗するべき。もし生まれ変われ変われるとして、もう1回大久保さんは自分の人生を歩みたいと思いますか。
いきなり壮大な質問だね!生まれ変わったら私になりたいか?いや、もういいかも。外見的なものも内面的なものも含めてこの素材をもらった中で、私が一番幸せな人生を歩めたと思うから。もう1つ無い物ねだりとして、結婚やファミリーという幸せの形があるかもしれないけど、たとえ私が結婚したとしてもうだつのあがらない亭主がいて…、あんまりいい感じじゃないかも。ブーブー文句言って、家庭内別居とか熟年離婚とかしそうな気がするもん。この素材で、いろんな人に出会えてたまに面白いですと言ってくれる人がいるのは、なかなか稀な人生だと思うからあり!今1人だけど、この素材をフルに使って発揮できている方が楽しいかな。
一人の女性として、年齢を重ねていくことについてはご自身はどう思っていますか。
なるべく抗いたいと思っていますよ。注射を打つとか整形をするとかそういうことではなく、見た目も心もフレッシュでいたい気持ちは永遠に持っています。おばあさんだから分からないみたいな、おばさんポジションをとるのって楽なんですよ。それでちょっとイジられるとかね。でも、そうしたら行き着くところはそこしかなくなってしまうので、抗っていたいと思いますね。
TwitterやTikTokなどSNSを駆使するフレッシュな感覚は、年齢になるべく抗いたいという気持ちが含まれているのでしょうか。
若者世代にどんなもの流行っているのかは、知っておきたいというのはありますね。私が今頑張っているなと思うのは、だいぶ歳ではあるけどバラエティー番組では若い人たちの中に入れてもらってやっていたり、そういう感覚をまだ持ってそうだなと思っていただいたりするところ。ありがたいことに、最近はTikTokのラジオをやらせてもらっていて、それもいいきっかけのひとつでしたね。フィルターをかけて撮影をして、トレンドがギュッと詰まっているので勉強していますね。これも、年齢に抗いたいと思ってやっていることのひとつ。
@trendkayoko編集中のスタッフ「テンション低いな…」#メイク #メイク動画 #大久保佳代子 #トレンド遊び♬ オリジナル楽曲 – 大久保佳代子とトレンド遊び パーソナリティを務めるラジオ番組『TikTok presents 大久保佳代子とトレンド遊び』(TBS)で開設したTikTokアカウントは瞬く間に話題に。
下の世代との共演も多く、スタッフにも自分より下の世代がたくさん出てきている中で、どんな人と一緒に仕事がしたいと思いますか。
当たり前だけど年齢が上になってくると、若い世代の人には一定の距離を置かれちゃうんですね。イジられもしないし、ちょっと怖いって思われることも多いので、そこは遠慮なくきてもらった方がいい。喋りかけるときって無意識のうちにパワハラになってないかなとか考えるんで、ある程度の礼儀を持って歩み寄ってもらえると嬉しいですね。あのおばさんちょっと怖いよねという空気になってしまうのが一番嫌なので、なるべく気軽に声かけられるように私もしておきたいと思っています。
自分の好きなこと仕事にしたり、得意なことを表現したりして生きたいと思っているGIRL世代に、独自のキャリアで自分らしく表現を続けてきた大久保さんからメッセージをお願いします。
20代って何をやってもいいと思うんですね。だって、失敗しても取り返せるし、40代の失敗に比べたら可愛くてちょっと微笑ましい感じもする。好きなことがあるなら1回転職してもいいと思うし、違うなと思ったら1年で辞めてもいいと思う。今は、SNSで稼ぐ人もいるし、受け皿がいっぱいあるから、フットワーク軽くいっていいし、世間もそんなに穿った目で見ないような気もするしね。ベタですけど、失敗って年齢を重ねるにつれてだんだんしなくなるんですよ。失敗しないことがわかるようになるからね。ここに踏み入れたら失敗するなと思うところには足を踏み入れなくなるので、失敗もしないし、あんまり落ち込むこともない。ある意味本当に安定した毎日を送れるけれど、20代のときの方が失敗して人に迷惑をかけて反省して、でも翌日また人に会って楽しくて、みたいな。その気持ちは懐かしいし、あの時しかできなかったなと思うんで、みなさんも今、バタバタと頑張っておけばいいと思いますね。どうせ、年をとるにつれて体が言うことをきかなくなっていくんだから(笑)。