感性豊かな芸能一家で育ち、幼い頃から映画と共に人生を歩んできた映画監督、安藤桃子。現在は移住先である高知を拠点に子育てをしながら、ミニシアターの運営や文化フェスのディレクションなど、さまざまなフィールドで活躍の幅を広げている。10代で映画界でのキャリアの一歩を踏み出し、悩みや問題にぶつかりつつも、それをポジティブに乗り越えてきた彼女なりの人生哲学とは? そして、作品を生み出すためのクリエイティビティの源とは? 自分らしく生きることを謳歌する安藤桃子の言葉から、人生を切り開くためのヒントを探してみよう。
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PHOTO:TAKASHI KUROKAWA現在の拠点は高知。Macがあれば、東京都の距離感も感じずに活動できる。今回のインタビューもオンラインで行われた。
映画はイマジネーションの集大成。
幼い頃から映画が身近にある環境で育ち、ご自身も今、映画界で活躍されています。そんな安藤さんにとって、映画監督という仕事の魅力は何でしょう?
自分のイマジネーションの全てを具現化できるということでしょうか。映画は「総合芸術」ともいわれているように、壮大な宇宙が舞台になることもあれば、社会の片隅でひっそりと暮らしているような人が主人公になることもある。映画って人間の頭で想像しうること、時にはそれ以上のことも、全て描くことができるメディアなんですよね。
映画監督によって表現したいことのイメージが生まれる瞬間って、まず言葉から浮かぶ人もいれば、映像の人もいる。本当にそれぞれだと思うんです。私の場合はビジョンで、表現したいと思う世界が映画のような状態で頭の中に映し出されます。そのイメージを他者と共有したくて、映画館で上映される映画としてもう一度撮り直す。自分にとっては、そういうアウトプットの仕方が一番フィットする表現方法なのかと。今は映画を撮ること以外にも小説を書いたり、子ども達と農業体験をするようなチームを結成したり、文化フェスをディレクションしたりと、いろんな分野でお仕事させていただいていますが、それらも全て映画表現のひとつとして捉えています。そしてその点のひとつひとつが何年かに一度繋がって、ギューっと凝縮されて、1本の映画として生まれてくる。だから映画を作るということは、表現したい世界の集大成みたないものなんです。
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妹の安藤サクラを主演に迎え、自身の著作『0.5ミリ』を映画化したときの制作現場。移住するほど気に入った高知という街も、この映画のロケ場所として訪れたのがきっかけ。
映画への道に進もうと思ったのはいつ頃からですか?
18歳の時、父(奥田瑛二)の初監督映画の撮影にスタッフとして参加したことがきっかけです。その頃までは、実は、映画の世界に対して苦手意識を持っていました。周囲の映画人が夜な夜な酒を飲みながら、うんちくを言い合ったり議論したりする姿を見て育って、小難しそうで苦手で(笑)。映画がなんだかすごく威圧的な存在に思えて……。だから映画を観に行こうという気持ちになれない時期もありました。でも撮影現場に初めて入った時、大人たちが一丸となって命がけで取り組む作品づくりというのにすごい衝撃を受けたんです。今思えば“現場に惚れた”という恋に落ちた感覚だったのかもしれません。
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自ら選んで生まれてきた。そう思って人生を謳歌しよう。
近すぎて見えなかったものが、一瞬引いてみたことでよく見えたという感覚でしょうか。安藤さんは留学を経験されていますが、一度海外という環境へ身を置いたことで、自分が生まれた環境がこれまでと違って見えたということはありましたか?
確実にありました。あることを母から言われて育ったんですが「人には生まれた時から選べないことが3つある。性別、親、そして国籍。ときにはそれを理不尽に感じることがあるかもしれないけど、自分で選んで生まれてきたんだと思える人生にすることが大切。そういう人生を歩んで欲しい」と。そんなこと言われても、子どもの頃は何なのかよくわからなかったんです。でも海外留学したことで、身をもってそれを体験することができました。日本を客観視できるようになって初めて、自分の生まれた国や文化が尊く思えたんです。
性別に関しては、初めて監督として映画を撮ったとき。今でこそ女性監督や女性スタッフが映画界で多く活躍していますが、私がこの業界に入った頃はまだまだ少数派。いたとしても衣装やヘアメイクの分野ぐらいで、演出側に女性がいることは本当に稀でした。だから当時は男尊女卑というのがけっこう残っていて「女に映画は撮れない!」と批評家から面と向かって言われたこともありました。今なら大問題です(笑)。その時は「何クソ!」という感情よりも「映画は老若男女が観るものなのに、女が映画を撮れない世界って一体何なんだろう。それなら、女にしか撮れない映画をまず作ってみよう」という考えに行き着きました。自分が女性であることをこよなく愛せた瞬間に、私にしか撮れない作品が生まれるのではと思ったんです。それからですね、自分のジェンダーを深く意識するようになったのは。
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幼き日の家族写真。俳優の奥田瑛二とエッセイスト・コメンテーターの安藤和津を両親に持ち、妹は俳優の安藤サクラ。クリエイティビティ豊かな芸能一家の中で育ちながら、自分らしい生き方を開拓し続けてきた。
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大切にしている宝物としてオーバーオールを紹介してくれた安藤さん。「母が私を妊娠中に臨月まで着ていて、私も娘を妊娠中、同じく臨月まで着ていたもの」。
両親に対しては幼少期から七光りだと色眼鏡で見られることも多く、破天荒な父の存在に悩むこともあり、なかなか受け入れる事ができませんでしたが、今はもう感謝しかありません(笑)。ほとんどの人にとって、親が生まれて初めて出会う人間だと思うんです。そこから兄弟や親戚、幼稚園に入れば友達ができて、どんどん自分のいる世界が広がっていく。その中で、もちろん苦手な人と出会ってしまうことってありますよね。その苦手意識って、実は自分が両親に対して感じているものと似ていることが多い気がするんです。それを乗り越え愛を学ぶために、自分が生まれてくる親を選んできたのかなって。それは国籍や性別にもいえることで、生まれる前から乗り越えるためのテーマが与えられていて、それをクリアするために選んできたのかなと。最近はそんなふうに思えるようになりました。
初監督・脚本作品、映画『カケラ』撮影の様子。恵まれた環境にいるにも関わらず、なかなかそれを受け入れられず、周りを反面教師にして生きてしまう若者もいますよね。
今どんなに苦しくて文句ばっかり言っていたとしても、最期には「この世に生まれて最高でした!お父さん、お母さんありがとう、イェーイ!」って言って死ねることが、人生の本当の目指すところだと思うんです(笑)。私も「生まれてくるんじゃなかった」と思ったり、「死にたい」と思ったりした時期もありましたが、自己否定した視点から世界を見てしまうと、どんどん苦しい方向に進んでループしてしまう。でも「自ら選んで生まれてきた」という視点からスタートすれば「じゃあ、選んだ理由は何だろう?」と、生まれた理由を自分なりにひとつずつ紐解いていける。全てが必然になってくる。不思議と人生の道が明るい方向へと開けていくような気がするんです。自分の経験から強く、そう感じます。
先日、安藤さんが監督した映画『0.5ミリ』を改めて拝見したのですが、介護ヘルパーの主人公・サワがまさにそういう生き方だなと。結構大変な環境にいるのに、それを人のせいにするのではなく、静かに受け入れながら周りを変えていく。VOGUE GIRLの読者にもぜひ観てもらいたいと思うのですが、あの映画で伝えたかったことは何でしょう?
「幸せに死ぬ準備は、生まれた瞬間に始まっている」ということを、老人介護を通じて描きたかった。現代の日本では、多くの人が“死”を恐怖の対象として見ていると思うんです。親の介護が急に訪れて、はじめて身近に“死”を感じた時、恐怖や不安というネガティブなイメージから介護が始まってしまう。でも本当はニッコリ笑って看取ってあげたいし、自分も逝きたいじゃないですか。そのためにも「死ぬその瞬間まで、生きることを謳歌しよう」って。あの映画では、主人公のサワがそれを全て体現してくれています。
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『0.5ミリ』 ©2013 ZERO PICTURES / REALPRODUCTS
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『0.5ミリ』 ©2013 ZERO PICTURES / REALPRODUCTS
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頭よりハート優先で生きることが、いい勘を育てる。
安藤さんは高知を拠点に様々なフィールドでお仕事をされていますが、自分らしく仕事をしていくうえで大切にしている条件はありますか?
ハートに響くかどうか!もうそれしかないです。頭で考えるのは、とりあえずその後(笑)。私たち世代の教育って、物事は頭を使って整理しなさいと叩き込まれてきたように思います。だから大人になってから、当然のようにハートよりも頭でリードする癖がついている。例えば、仕事で心がザラつくような感情が湧いたとしてもメリットや効率を優先して頭で判断してGOしてしまうと、最初に感じた嫌な感情って消えていなくて、どこかでずっと引きずって発生源不明なストレスと化してしまう。そうなると、気付いたら仕事が楽しいことではなく、辛いことになってしまうことも。なので、なるべく最初に感じた感覚や感性を大切にするよう意識しています。
とはいえ、現代社会の環境では無意識に頭で判断しようとしてしまう人が多いと思うんです。私もそうですし。だから、仕事中にトイレに行きたくなったら我慢せず行くとか、喉が乾いたらお茶を飲むとか、そういう生理的欲求から少しずつでも自分を心地いい方へ導いてあげる。そうすることで自分の本当の声、本音が聴こえ始めて、ハートで感じる回路がちょっとずつ整っていくと思います。あと、しんどいなって感じたときは3分でいいから深呼吸して、自分に空気を与えてあげる、心のゆとりを与えてあげる。
そういう積み重ねが仕事だけでなく、生きていくうえ全体の“いい勘”というのを育てるのかもしれませんね。
そうかもしれませんね。高知の自宅で植物を育てているんですけど、種を蒔いたプランターを真っ暗な部屋に置いて、ほんの少しだけドアの隙間を開けておくじゃないですか。そうすると、うっすらと差し込む光でもそこに向かって、全部の芽が伸びていきます。人間もそうですよね。子どもたちとか見ていると特にそう思うのですが、人間も明るい方へ向かおうとする。明るい方へ生きようとするのは、全ての命が生まれた時から持っている“本能”だと思うんです。その“本能”、つまり命の声を思い出すことって、自分にとって優しい方を選択することだと思うんです。そうすると、人への優しさや真心も復活してくる。やっぱり自分自身が満たされていないと、周りのことも思いやれる心の余裕ってなかなか生まれてこないから。
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子どもたちの輝く未来を考える異業種チーム「わっしょい!」の 収穫&脱穀祭での様子。農業・食・教育・芸術などを通し、子供たちの感性を育む活動にも力を注いでいる。
高知はミラクルが続出するエネルギッシュな場所。
安藤さんは今、高知を拠点にされていますが、東京を離れてお仕事をこなすうえで大切にされていることはありますか?
東京のスピード感をキープしながら、さらにエンジンをかけられるような状態にしておくことですね。高知って夕方の5、6時になると割烹着を着たおばちゃんたちが釣竿を持って、太平洋で今晩のおかずを釣りに行ったりするんです。個々の人間関係も物理的距離感も、あらゆるものがすごく近い。その中で日常に根づいた幸せな時間が流れているんですけど、そこに浸り過ぎてしまうと物事が動かしにくくなる時もある。だから東京のスピード感をブラさずにいれば、東京よりも5倍以上の速さで物事が進んでいくんです。
高知は街がコンパクトなので、テレビ局やラジオ局、役所も全部自転車で15分圏内にあります。もう、これだけで東京とは全然違うスケジュールの切り方ができると思いませんか? その上、役所とか会社のトップの方にもすぐに会うことができる。例えば東京で大企業の社長に何かお願いごとをするとしたら、秘書の方を通して連絡をして、会うまでに1ヶ月以上かかることが当たり前だと思うんです。それが高知だと「今どこにおる?」「近くにいるのですぐ伺います!」みたいな感じで、電話1本でアポが取れちゃうことも(笑)。
私が運営するミニシアター「キネマM」の立ち上げも、通常だったら2年ぐらいかかるところ、完成までたったの3ヶ月でした。気付いたらそこにあったという感じ(笑)。
ミニシアター「キネマM」の外観。「東京のスピード感をキープする」というのは意外でした!今のお話しからも高知ってすごい勢いとエネルギーのある土地なんだなと感じます。
最初は『0.5ミリ』のロケ場所として高知の魅力を知ったのですが、このラテン気質な県民性と土地柄があれば「やばい! ありえない!」と思うようなミラクルを次々と実現できるぞ、と確信して高知に移住したんです。
今はどんなことでもインターネットで世界中に発信できる時代なので、高知のような地方でも、地球の中心となって物事を起こしていける。どんな場所にいても、そういう可能性とチャンスに満ち溢れていると思います。
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生命との繋がりを感じることが、クリエイティビティの原動力に。
コロナ禍で働き方が変化し、東京にいる必要性を感じなくなっている人も増えています。そういう人たちにとって安藤さんの今のライフスタイルはまさに理想ですね。
実際、東京を離れて困ったことって全くないんですよ。行きたい場所はどこでも自転車で行けるし、役所での手続きも東京みたいに待たされることない。逆に超便利(笑)。なにより、高知は私にとって“暮らしやすい、過ごしやすい”というより、とても“生きやすい”場所なんです。“生きやすい”というのは、常に自分と他の生命との繋がりが感じられるということ。高知で生活をしていると、その「命」というものを常に感じるんです。
朝起きた時の風と夕方の風では匂いも違うし、街を出るとすぐに海、山、川がある。仕事の打ち合わせ前にちょっと川に寄って、足を浸けながら缶コーヒーを飲んでひと休み、なんてことも日常でできちゃう。そんなふうに、生命力の源に還れるといつも元氣でいられる。それが自分のクリエイティビティ、全ての原動力になっています。だから、高知という土地は私にすごく合っているんでしょうね。
好きな場所で好きな仕事をするために、安藤さんは日常でMacをどのように役立てていますか?
自分のMacには名前をつけるくらい10代のころからMacユーザーです。先ほどもお話したように、高知でも東京と同じスピード感とエネルギーを持つためにもMacは欠かせない存在。逆にいえば、Macがあるからこそ、どこにいても自分らしいスピード感を持つことができるんじゃないかと思います。ちょっと質問の答えから離れてしまうかもしれませんが、私はMacをはじめたとしたデジタルツールが常に身近にあって、仕事でも生活でも頼りにしているからこそ、一旦“閉じる”ということも大切にしているんです。現代はスマホやPCがない生き方というのが考えられないぐらい生活に取り込まれていますよね。自分が感じたものをその瞬間に記録して、その場ですぐに作業できるということが可能になった。映像の世界でいえば、撮影した映像をその場で確認して、どんどん編集していけるようになりました。
まだフィルムで撮っていた時代は。フィルムをセロテープでいちいち切ったり貼ったりしながら、映像の確認や編集をしていたんです。で、この部分を撮り直したいとなったら、一度みんなで休憩所に行ったりするんですね。そうやってスタッフたちが休憩している間に、このシーンはどうしようとか、自分の思考と向かい合う時間が生まれていたんです。でも今のスピード感だと、それこそトイレ休憩もせずに作業し続けちゃうことがある。そんなふうに世界がどんどん加速していく中で、自分の中心にある変わらない“軸”というものを明確にするためにも、デジタルから離れる瞬間をつくる。そういった時間を意識することも、これからの仕事のあり方のひとつかなと思います。
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PHOTO:TAKASHI KUROKAWAMacやノートを片手に、高知の豊かな自然に囲まれながら作業をすることも。地方にいるからこそ「東京のスピード感をキープしながら活動する」という言葉が印象的だ。
Macと自分とのほどよい距離感をつくる。人間関係と同じことが言えますね。
そうかもしれないですね。
あなたには実現できる可能性がきっとある。
10〜20代だった頃の自分を振り返ってみて、安藤さんがVOGUE GIRL世代に伝えたいことはありますか?
とりあえず、挑戦したいことがあるならば、失敗を恐れず“やらかして”欲しいです(笑)。やってみたい!と思った時点で、その人にはそれができる可能性がきっとあるはずなんです。可能性があるからこそ、そのことに目を向けているのだと思うので。スタートに立つ地点が、可能性が“ある”と思うのと“ない”と思うのでは、ゴールに到達するまでの距離が違ってくると思います。「ある」を起点にしたほうが断然近道だし、夢を叶えるまでの道のりもすごく楽しいと思います。
安藤さんご自身も、そういう経験の積み重ねがあったからこそ今があると感じていますか?
そうですね。でも、今回のインタビューで私が語ったことを信じるか信じないかも、読まれたその人次第。読んだだけでは知識にしかなりませんし、もちろん知識は大事なんですけど、知っているからといってその知識を使えるということには繋がらない。体験が一番大切だと思っています。自分の人生の中で「あの人が言っていたことはこういうことか!」という出来事に遭遇して、そこを踏んでみて、初めて知識をツールとして使えるようになる。そしてその時にやっと、その知識が“本当”のこととして自分のものになる。
頭だけでなく、心や身体でそれを体験してこそ本当の意味での自分の知識、人生になっていく。まさに安藤さんの生き方と重なりますが、これからさらに挑戦していきたいことはありますか?
私には、人生を通して描いている、このために生きているというひとつのヴィジョンがあって、それは人、動植物、目に見えない微生物まで、この地球上に存在するあらゆる命が幸せに輝く世界になるのを見届けること。今はそこに至るまでにたくさんの課題がありますが、それを解決するためのいいアイディアというのはこれからきっとたくさん出てくると思うんです。命と感性の声を聴きながら、全ての存在がハッピーな未来へ、作品を通して愛と力を注ぎたいです!何より日々わくわく、
苦しいことも楽しく生きていきたい。そして、理想の世界が実現したのを見届けたら「ありがとうー!」って笑顔で逝く(笑)。それこそ、豊かな人生なんじゃないかと思うんです。