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“憤り”を使うことで、人生が進む瞬間がある。写真家・富永よしえが次世代に伝えたいメッセージ。

人生の先輩に聞く、豊かな生き方のヒント
LIFESTYLE/PEOPLE
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数多くの著名アーティストのポートレイトやファッションフォトを撮影し、20年以上第一線で活躍する写真家・富永よしえ。現在は、一児の母でもある彼女に、写真家としてのキャリア、女性としての人生に迫ったインタビュー。私たちの背中を押してくれる、心がふっと軽くなる金言の数々。豊かな人生を生きるための、ヒントを探して。

写真家を目指したきっかけを教えてください。

21〜2歳の時、私はその頃フリーターでバックパッカーをしていたのですが、周りの友人たちが大学を卒業し、就職しはじめたのをみて、いよいよ働かないとまずいな(笑)って。他人が社会人になりはじめたのをみた時に、じゃあ自分は?と考えたら、カメラマン以外思い浮かばなかったんです。振り返るとカメラは私の生活の一部にあって、写真を撮っている時はいつも楽しかった。そう思った時に職業にするならカメラマンしかないと思って、母に修行してきますと言って、 翌年家を出たんです。

カメラが生活の一部にあったということですが、写真を撮りはじめたのはいつ頃からですか。

小学生の頃から、カメラをやっていました。いわゆる撮り鉄だったんですよ!おやつを作って自転車に乗って、家にオリンパスペンとか一眼レフカメラがあったので、それを持って撮りにいってました。中学生になったら、「ジャパン」や「YMO」が好きだったので追っかけて、ファンの集いで写真を撮っていました。高校生の時は、付き合った彼がカメラ好きで家には引き伸ばし機があって。学校が終わったら、彼の家でプリントをしていました。一緒に写真を撮ったり、彼らが組んでいる学生バンドのアー写を撮ったり……。こうやって言葉にすると、ちょっと恥ずかしいね(笑)。当時は、そんなに規制もなかったので、ライブハウスにいってミュージシャンをバシバシ撮影していて、それが「ボアダムズ」とかでしたね。

写真家になろうと決めてからは、どのようなステップで夢に近づいていったのですか。

24歳の頃から、夢を叶えるためのタイムテーブルを書いていたんです。何歳で結婚して、何歳で中古車を買うとか……、そういった夢見がちなことも全部(笑)。カメラマンになろうと思ってからも、まずは夢を書き出して時間を決めていました。下積みは4年間、そのうちスタジオマンとして2年経験して、フリーになって、アシスタントを雇うのは何歳……、自分で書き出した通りに一つずつ経験を重ねていきました。

フリーになってからは、作品撮りをしては営業に行く毎日からスタート。営業は100件ぐらい行ったかな。『キューティ』や『ファインボーイズ』、『セダ』など、知っているファッション誌を手当たり次第に!でも、作品撮りをした中にファッションの写真がなかったんです。 ファッション誌の編集部で、旅で撮影した写真を見せていました。「何しに来たん!」と言われたこともありました。『ハイファッション』への営業の時にそれを言われて、モデルを撮影しよう!と。モデル事務所に、旅の写真を見せてモデル撮影をさせてほしいと言いにいきました。それからは、旅の写真とファッションの写真の2冊の作品を持って営業に。2002年からお付き合いがはじまった「アンダーカバー」の仕事のきっかけも、モデルの写真よりも旅の写真の方をデザイナーの高橋さんが気に入ってくださって。パリでの最初のショーのDMを撮影しました。

独立してから20年以上、最前線で活躍し続けている富永さん。数えきれないほどの撮影現場を経験されていますが、女性写真家としての苦労はありましたか。女性として、仕事の中で大切にしていたことはありますか。

女性はホルモンバランスの関係で、理性とは関係ないところ、自分のコントロールが効かないところで怒り・憤りの感情が湧いてくることがあるんですよね。私もその突然降って湧いてくる感情に悩んでいたことがあったのですが、その気持ちをうまく現場に使わなければと思っていました。実際、怒りや憤りの感情を現場で使った時に、人が動くんです。当時、アシスタントをしてくれていて、今ではカメラマンとして活躍している守本勝英くんたちが私の手足になってくれ、彼らに動いてもらった時にその作品がいいものになりました。

私たちのような女性は、憤りをクリエイションに上手に使うと良いと思うんです。正体が分からなくて、すごく不安になっていたりマイナスだと思っていたりする女性も多いかもしれない。けれど、使うことで社会が動く瞬間がある、人生が進む瞬間がある。だから、怖がらないで前に進んでほしいですね。

富永さんの撮影現場は、新人も大御所もみんな平等に、家族のように包みこんでくださる温かさがあります。現場の雰囲気作りで、大切にしていることはありますか。

私たちの仕事は監督のようなもの。「今日1日、この箱の中で楽しく過ごしましょう!素晴らしい作品を作りましょう!」と、現場に来たみんなの熱量を同じにして、全体をレベルアップできるように心がけます。そのためには、お茶がないといけないし、おいしい食べ物がないといけないし、写真以外のセットアップでカメラマンが枠組みを作ってみんなをプッシュアップするんです。そうすれば、アーティストの方もスタッフも気持ちよく撮影に臨んでくれる。 その現場のムードが、写真の中の表情に直結するんです。

パティ・スミスや坂本龍一、BLANKEY JET CITYなど、多くのアーティストを撮影し、 信頼されている富永さん。一流のアーティストたちに信頼される理由は、ご自身で何だと思いますか。

一つあるとしたら、相手に興味を持って、同じ人間として今、どういう気持ちだろうということを考えていることでしょうか。出演している作品や今どんな活動をしているのかは、当然撮影前にチェックします。それは、暗黙のルールみたいな、宿題みたいなもので、 アーティストの方は私が宿題をやってきたんだと感じてくれると「よっしゃ、行くで!」って空気を作ってくれるんです。それは、最初のシャッターを押した時に分かるもの。お互いに感情を預けているような感覚です。

アメリカの詩人でありミュージシャンのパティ・スミスのオフィシャルフォトグラファーとしても知られる富永さん。2001年~2016年までの15年間の彼女の姿を一冊にまとめた『パティ・スミス_光の扉/Patti Smith_the doors of light』も好評発売中。最初の出会いのきっかけは?

最初は2カットだけ。パティ・スミス本人の許可がない状態のフジロックフェスでした。その時は今日持ってきた、倍の大きさのカメラを持って行きました。私は体が小さいし、大きいカメラを持って行こうと。小さいカメラでちょんちょんと撮ったら失礼でしょ?私の誠意をまずは見てもらおうと思いました。パティもこんなに大きなカメラでなんだろうと思いますよね。それならと、とりあえず座って撮らせてくれたんです。 時間にすると3~5分程度のほんの一瞬の撮影でした。

写真家としての喜び、苦しみを感じるのはそれぞれどんな時ですか。

喜びは、撮った写真を誰かが気に入ってくれること。これは独立してからずっと持っている気持ちです。苦しかったのは、35歳の時。スランプに陥っていました。たくさん働いて、好きなものが買えるのはいいけれど、仕事以外何も残っていないと感じたんです。「やばいな私、仕事しすぎた。次の目標がない!」って。カメラの仕事だけでは、自分が潰れてしまうとも思いました。心の中のどこかで、家庭を持ちたいという思い、自分の子供を育てたいという思いがあって、もやもやしていた時期でした。

それが解消できたのが、結婚でした。写真の仕事は、一旦やりきったと思っていたので子供を持つということに不安はありませんでした。もしかしたら、まだ頑張れた、上に行けたのかもしれないけれど、その時の私は心身ともに疲れていたので、結婚によって負担が軽くなったというか、すべての状況が好転していった感覚がありました。

母となり、仕事との向き合い方に変化はありましたか。

子供が生まれてからは、家族優先で仕事はセーブしました。撮影はしたかったけど、実際、家庭との両立は難しくて……。旦那さんはサラリーマンだから帰ってきた時に、ご飯作って待っていてあげたい。二度ほど子どもの作り置きご飯を忘れ、仕事へ出掛けて、喧嘩になったこともありました。その時に、人の心を壊してまで、自分の気持ちを優先して前に進むのはダメだなと。仕事と家庭、 2つを同じスピードで進めることはできないから、どちらかを少し減らして、その分もう一方を進める……。そんな風に、バランスをとってきました。今は、娘も大きくなったので、私の帰りが少し遅くなる時はカレーを作ってくれることも(笑)。家庭崩壊しないように、仕事と家庭のバランスをこれからまた少しずつ変えていこうかな、と思っているところです。ちょっとの我慢でみんなが平和だったら、それでいいじゃない?

インスピレーションや人物像はどこから得ていますか。

映画はよく観ました。ジム・ジャームッシュの『デッドマン』、リドリー・スコットの『ブレード・ランナー』とか。 話の内容というより映像美から、インスピレーションを得ることが多いですね。村上春樹さんの本からも!ファンタジーな世界のヒントは、本から得ることもあります。

「アンダーカバー」がパリでコレクションを発表した2002年から5年に渡り ショーを記録したり、コラボアイテムを発売したり……。富永さんにとって、ゆかりのあるブランド「アンダーカバー」。今回も、デザイナーの高橋盾氏のオフィスで特別に撮影させていただきました。ファッションフォトグラファーの富永さんが思う「アンダーカバー」の魅力は?

ジョニオさん(高橋盾氏)とは、年齢が同じで、聴いてきた音楽や通ってきたカルチャーに共通点が多いんです。センスや音楽もずば抜けてはいるけれど、前進する力が人並み以上にある。世界に発信するエネルギッシュなパワーが「アンダーカバー」の一番の魅力だと思います。

私は、ジョニオさんの思いやりのある人柄も大好きなんです。だから、恩返したいという思いがまず大前提としてあります。今、私が生活できているのは、独立当時からみんなに支えられてきたから。「アンダーカバー」のブレイクのおかげで、私も素晴らしい景色を見られました。「アンダーカバー」だけではなく、時代を築いてきたジャパンブランドにはいつもリスペクトの気持ちを持っています。

現在、富永さんのアシスタントを経て、独立したたくさんの写真家の方が第一線で活躍しています。次世代を 担う写真家を育てるということについて、どんなことを考えていますか。

アシスタントを育てるということに関しては、人様の子供を預かっているのだから食べさせなくてはいけないということがあって。まず、夜ご飯はきちんと食べさせてあげるようにしていました。あとは、当たり前のことですが挨拶。どんな仕事が来ても、どんなにすごい人と会っても写真でお金をもらっているんだから、調子に乗らないよう、天狗にならないようにとは常に言っていました。アシスタントについてから卒業まで3年という目安はあるのですが、できる人はそれより早く巣立っていくし、中にはもう少し時間がかかる人も。自分で食べていけるようになるまでは一緒にやる。外に出たらクライアントだらけなので、写真家としても一人の人間としても自立できるようにと思っています。

若い世代の写真家との交流は、富永さんにどんな影響を与えますか。

若い世代からは、どんどん刺激をもらいたい。今日、ポートレイトを撮影してくれた堀さんにも、刺激をもらっていて、こういったフレッシュな才能はどんどん世の中に出さないとって思います。私は彼らから新しい刺激をもらえるし、彼らは私の古い作品を見てこういうのがあったんだって思いながらまた新しいものを作れる。一方通行ではなく、エネルギーを循環させていきたいです。

最後にVOGUE GIRL読者に向けて、メッセージをお願いします。

世の中が急速に変化し、新しい生活に順応していかなければいけないコロナ禍の現在。 大きなエネルギーが必要だけど、前に進むしかないと思っています。その時に忘れないでいてほしいのは人を思いやる気持ち。

私は、少しお金に余裕ができたら「児童養護施設」や「災害義援金」などの寄付をしています。人に優しくすることで自分の気持ちも救われることがあります。地球の反対側の人のことを思い、水を大切にする。水を飲みたくても飲めない子がいるし、勉強したくてもできない環境の子もいる。そういった環境で懸命に生きている人々ことを想像してみてほしいんです。毎日を生き、生き抜いていく、今はそれしかないですが、それでもちゃんと前に進んでいるから。諦めないで、毎日を過ごして欲しいです。

現在、写真家・富永よしえが15年間にわたりパティ・スミスを撮り続けた記録を一冊にまとめた写真集『パティ・スミス_光の扉/ Patti Smith_the doors of light』、関連グッズが「アンダーカバー」から発売中!

写真集『パティ・スミス_光の扉/ Patti Smith_the doors of light』のINFOをチェック!

  • PROFILE | 富永よしえ

    1968年生まれ。著名アーティストのポートレイトや雑誌、広告などのファッションシーンで第一線で活躍するフォトグラファー。パティ・スミスのオフィシャルフォトグラファーでも知られ、15年間にわたりパティ・スミスを撮り続けた記録を一冊にまとめた写真集『パティ・スミス_光の扉/ Patti Smith_the doors of light』をリリース。写真集の発売と合わせ、スペシャルな関連グッズが「アンダーカバー」から同時発売中!

SPECIAL THANKS:YOSHIE TOMINAGA PHOTO:YUKI HORI EDITOR : SAYA YONEKURA
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