仕事に恋愛、結婚、出産……。今を生きるガールたちには、今、そして未来の悩みや不安が尽きないもの。やりたいことだらけの20代、30代を先輩たちはどんな風に歩んできたの? そんな疑問に答えるべく、ファッション業界で活躍する女性たちにインタビュー! それぞれが歩んできた道を知ることで、豊かな生き方のヒントを探ります。第8回目は、その場にいる誰をも惹きつける、明るく温かい笑顔が魅力のアン ミカさんに話を伺いました。
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新人モデルの指導にエッセーの執筆や化粧品のプロデュースなど数多くの場で活躍するアン ミカさん。マルチな才能を発揮できているのはなぜ? 結婚して何か変わった? 駆け出し時代の苦労から周囲を幸せにするポジティブの秘訣まで、今まで歩んだ道のりを教えてもらいました。
コンプレックスから抜け出せた“母の教え”。
満開の笑顔が魅力のアン ミカさん。しかし幼少期、笑顔に自信が持てない時期があったという。
「そもそも子どもの頃は、自分のことがあまり好きではなくて。3歳の頃に顔に大ケガを負ったんです。そのケガが影響して、ニコッと笑う度に唇がめくれ上がるようになってしまって、顔を見られることが怖かったこともありますし、中学生までは体型も小柄でぽっちゃり。自分の容姿に自信が持てなくて、内向的な子でした。一方、私の母は明るくて人のいいところを見つけて伸ばすのが、とても上手な人だったんです。今考えるとちょっと無理やりにも思えますが、弁が立つ兄には“法律を扱う仕事が向いているね”とか、貧乏ゆすりのクセがあった姉には“リズム感が良いから楽器を習ってみたら”と小さな自信を持てる言葉をかけてくれて。私が母から言われたのは“ミカちゃんは将来モデルになれるかも!”。その言葉は幼子心に響いて、モデルになりたいという気持ちが自然と心に芽生えたように思います。
母がもう1つ、私に与えてくれたのは、本当の美人は目鼻立ちがきれいなだけではなく、内面から輝く人だという価値観。母は “ミカちゃん、本当の美人は、一緒にいて心地良い人なのよ”と何度も言っていました。自分の体型や口のケガをすごく気にしていた私にとって、それは目の覚めるような言葉で。母は私が口のケガをしたことをとても気にしていて、何かできないかと美容部員の仕事を始め、そこで学んだ所作を私に教えてくれました。どうすればきれいな人になれるのか、そのための”魔法”を教えてくれたんです」
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“4つの魔法”が叶える本当の美しさ。
「まだ小学生だった私にもわかるように母が教えてくれたのは、“姿勢を良くすること”、“相手の目を見て話すこと”、“口角を上げること”、“人の話をちゃんと聞くこと”の4つ。どれもとてもシンプルなことですが、これらが実践できるだけで“一緒にいて心地良い人”になれると母は言いました。背筋を伸ばして良い姿勢でいると印象がすがすがしくなりますし、人の目を見て話すことで相手に真摯に向き合う姿勢が伝わります。口角を上げて笑顔でいると、自然と周囲にも笑顔が増えていく。笑顔のタネを撒ける人って素敵ですよね。あいづちを打ちながら話を聞くことで、相手が“自分のことを尊重してくれている”と思ってくれます。この魔法を、私は一生懸命に練習しました。うまくできると母が褒めてくれるんです。それがうれしくて、もっと頑張る。そうすると周りの大人も褒めてくれるようになって、だんだんとコンプレックスが気にならなくなり、自信が持てるようになってきました」
鳴かず飛ばずだった駆け出し時代。
順風満帆な人生を思わせるハッピーオーラをまとったアン ミカさん。しかし駆け出し時代の話を聞くと、計り知れない苦労とうちに秘めた並々ならぬ根性を感じさせるエピソードが並ぶ。
「幼少期からなんとなくモデルになりたいと思ってはいましたが、その思いを行動に移したのは中学生のとき。母が病気で寝たきりになって、何としても母が生きているあいだにモデルになりたいと思い、あちこちのモデル事務所に書類を送りました。でも、まあ全然受からなくて。書類の段階で落とされてばかりだったので、“写真写りが悪いから実物を見てほしい”と事務所に押しかけたこともありました。でも、会ってもらった上でやっぱり不合格。そのとき中学校の制服を着ていた私に、事務所社長さんが“大きくなったら遊びにおいでね”と今思えば社交辞令で言ってくれたんです。でも当時の私はそれを真に受けて、事務所通いを始めて(笑)。そういう熱意を認めてもらえたこともあってなんとか事務所には所属できたのですが、高校3年間はモデルとして特に目立った実績はなし。当時は部活にも打ち込んでいていい成績を残せていたので、スポーツ推薦で進学したらいいという話も出ていたんです。でも、結局故障してスポーツの道は絶たれてしまって、モデルの仕事を極めたいという気持ちが強くなりました」
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チャンスは思わぬところに。
パリから帰国したあともフリーのモデルとして活動していたアンさん。ふとしたきっかけで得た偶然の出会いから、大きなチャンスを掴むことになる。
「帰国後はアルバイトに明け暮れる日々。モデルとしては相変わらずパッとしなくて、何時間も立ちっぱなしのデッサンモデルや、通販雑誌の洋服撮影の前に行われるフィッティング専用のモデルなど、“売れないモデルがやる仕事”は全部やった自信があります。ある時、当時のマネージャーさんに、京都で行われるファッションショーへの参加を勧められて。ショー自体は一般人がモデルになるというコンセプトで、“プロのモデルの自分には意味がないなあ”と思いつつも、結局行くことにしました。ショーが終わったあと、フォトグラファーのロバート・ショーナーが“あなたはモデル? でも日本人じゃないよね”と声をかけてくださったんです。彼はカルチャー誌の表紙撮影で来日していて、話が弾んで「明日撮影があるけど来ない?」と撮影に誘ってくれた。その時に撮影した写真がi-D MAGAZINEに掲載され、一気に世界で注目を浴びることになりました。それがきっかけとなって、ロバートが来日する際は毎回撮影に呼んでくれるようになったんです。彼との撮影のおかげで、海外のクリエイターたちと仕事ができて、素敵な写真がコンポジットに並ぶようになりました。それらの写真を持って、再びパリコレに挑戦。タイミングや人に恵まれたことも幸いして、多数のショーに出演することができたんです」
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ロバート・ショーナー氏が撮影した写真が「THE FACE」に掲載。当時20歳のアン ミカさんがモデルとして世界に羽ばたくきっかけに。
その後は日本に戻り、大阪を拠点に活動。モデルだけでなく、タレントとしての才能も開花させていく。
「20代の後半海外から帰ってきて、ありがたいことにたくさんの仕事を任せてもらっていました。でも、この頃調子に乗っちゃっていたんですよね。モデルという職業で生きていくと決めたときに父と約束したことのひとつだった“新聞を読むこと、資格を取ること”。新聞を読んで社会の動向を追いかけているからこそ、それぞれの時代に必要とされることが読み取れる。資格を取ることで、自分の発言に説得力が生まれる。それはわかっていたはずなのに、そういう努力をやめてしまっていたんです。
もし時代の流れをきちんと捉えていたなら、29歳の時に開催された日韓W杯のときに、もっと活躍の場を得られたのではないかと思っています。日本と韓国両方の良さを知っている私からこそ、自分のパーソナリティを活かして役に立ちたかった。でも、当時の私は韓国語をきちんと話すことができなくて。関連するお仕事のオーディションにも受からなくて、自分の甘さみたいなものと向き合うことになりました」
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若い頃に購入し、今でも愛用しているエルメスのスカーフ。アレンジ次第で1つのアイテムを多様に楽しめることを教えてくれた思い出深いアイテム。
人生の節目で飛び込んだ語学留学。
W杯の仕事はできなかったとはいえ、変わらず続く多忙な日々。そんななか、自分たちのルーツを知りたい、きちんと韓国語の読み書きがしたいという思いが強くなったアンさんは韓国への留学を決意する。
「ちょうどその頃私は30歳。その時期ってすごく迷いが多いですよね。今まで成し遂げたものがある人はそれを失いたくないと不安に襲われるし、なんとなく日々が過ぎ去っている人だとこのままでいいのかなっていう思いが芽生えてくる。私も新しいチャレンジをしたい思いがありつつ、今まで得てきた仕事を失うのが嫌だっていう執着がありました。ただ、当時大阪出身でモデルもタレントもしているっていうのは自分ただ1人だったので、少しくらい休んでもまた戻ってこられるんじゃないかといううぬぼれもあって。周囲を説得して、3ヶ月だけお休みするっていう約束で韓国に留学したんです。でも、結局3ヶ月じゃ全然身につかなくて。結局1年3ヶ月の留学になってしまいました。そうなると、帰ってきた時には浦島太郎状態。戻ってきてからお仕事の面で苦労もありましたけど、それでも韓国には行ってよかったです。人生の中でも指折りの宝物の経験ですね」
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常に前向きに、物事をポジティブに捉えるアンさん。今までの人生に後悔はないのだろうか。
「後悔は一つもないんです。実は20代半ばの頃、それまで出ていた大阪のコレクションでモデルリストから外されたことがありました。その時、ショーで一色になる大阪の街から逃げるような気持ちでニューヨークに飛んだんです。でも着いてみたら、空港で私の荷物だけ出てこないわ、一緒に住む予定だった人にドタキャンされるわ、本当にトラブル続き。しかもそのタイミングで、映画オーディションの誘いが来ていたのですが、当時は海外との連絡も簡単ではなくてそのチャンスは水の泡に。そんなこともあり、帰国した時には“ニューヨークに行かなければよかった”と思いましたが、後になって考えてみると“逃げ”から生まれた行動は良い結果を生まない、だからいつでも逃げない自分でいようと気づけたきっかけだったなと。両親が、学びや発見があればそれは失敗じゃないとよく言っていたのですが、そう思うとニューヨークに行ったことも後悔することではないなって思えるようになりました」
若い世代との“違い”を知る。
テレビ番組「パリコレ学」では、後進を熱く指導する姿が話題に。この番組への出演は、アンさん自身にも気づきが多かったという。
「世代が違うことで、“当たり前”に関する意識も違うし、物事への捉え方も違う。何か伝えたいことがある時には、その違いを理解して伝えるよう注意していました。とはいってもそれが最初からわかっていたわけではなくて。例えば、とある人から“ウォーキングの時に腰に手を当てるな”と指導されたら、生徒たちはみんなその言葉を鵜呑みにして、服によって応用するなど自分なりの解釈をしようとしない。“なぜ”そう言われたかを考えられない姿を見て、“私たちの時代はもっと考えたものなのに”と、つい自分たちの世代を物差しにしてしまうこともありました」
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アン ミカさん自身がパリコレに挑んでいた時代の写真たち。当時アジア人モデルはとても珍しかった。
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キャリアを飛躍させた「ヴィダルサスーン」の広告出演。美しく艶のある黒髪が評価され、ワールドキャンペーンに何度も出演した。
/「でも、考えてみれば、時代が持っているテーマが違う。私たちの世代はものがそんなにたくさん手に入る時代ではなかったから、ひとつひとつに対して考え抜く雰囲気がありました。たとえば洋雑誌一冊買ったら、それぞれのページのポージングまで覚えるくらい何度も読んだり、一着の服をどんな風に着回せるか、どう着こなしたら自分が素敵に見えるかまで考え抜いたり。でも、今の時代は、SNSがあって、ファストファッションがあって、たくさんあるものをどんなふうに組み合わせて魅力的に発信するかという時代。そうなると、強く意識しない限り、ひとつの物事に対して深く考えるって難しいですよね。その違いを理解していないと、伝えたいことが伝わらないんだと体感しました。指導って、文字の通り指摘して導いていくことなので、感情を押し付けるのではなく、きちんと伝わらなければ意味がない。前提にある時代のテーマの違いを意識して、感情的にならずに指導するよう心がけました」
スマートフォンを開けば情報があふれ、日々めまぐるしく変化が起こる今の時代。素敵な大人になっていくために、意識すべきことは?
「百聞は一見に如かずじゃないですけど、やっぱり自分で実際に行って体験して肌で感じるということは大事にしてほしいです。能動的に調べることで手に入る情報が多い時代だから、努力しようと思えばできるはずなのに、ちょっと調べてあふれる情報を眺めているうちに、“こんなにたくさん見たんだから、十分勉強したでしょ”という気持ちになってしまいがち。でも、それは本当の意味での学びではないんです。モデルを例に挙げると、ポージングの練習。どんなポーズがあるのか、それを表面的に写真で見て終わりじゃなくて、鏡の前でちゃんと実践してほしい。1mm横を向くと体のラインがどう変わるのか、自分が一番美しく見える角度はどこなのか。スマートフォンのおかげで写真も動画も手軽に撮れるようになったのだから、自分のポーズをカメラで撮って見比べてみてほしいんです。そうすることで発見があって、次の学びへとつながっていきます。せっかくこれだけ便利な時代になっているからこそ、想像力を働かせることが大切だと思います。便利な時代だけど、便利を使いこなすためには、自分自身が成熟していることがとても大切。番組の中でも、それは強く伝えました」
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ハッピーの秘訣は“自分を知る”こと。
38歳で実業家のセオドール・ミラー氏と出会い、40歳で結婚。幸せいっぱいの結婚生活を送っている。
「夫との結婚は、私が人生における運の9割を使い果たしたんじゃないかと思うくらいの幸運な出来事。若い頃は男性に束縛されることが多くて、人付き合いを制限されることも多かったんです。でも、今の夫はその真逆。女性が輝く姿を見るのが好きだからと、外に出かけること、仕事をすることを積極的に応援してくれる。人と会うことで生まれる新たなアイディアやご縁を大切にするという点で、同じ価値観を共有できています。彼と結婚して変わったことといえば、休むことに対する考え方。私は仕事があればあるだけ引き受けたいし、スケジュールを全部埋めたいと思ってしまうタイプなのですが、夫は“体あってのことでしょ”と。お付き合いしている当時、ペースを考えず仕事を詰め込む私を見ていたので、結婚するときに年末年始に約1ヶ月、夏休みの約2週間は必ず夫とバカンスを取るっていう約束をしています。
とはいえ、ありがたくもお仕事をたくさんいただき、休みが少なくなって彼との時間がおろそかになることもあるんです。そういうとき、 “輝いている私が好きって言ってくれていたのに、どうしてわかってくれないの?”と詰め寄るのではなく、“時間が取れなくてごめんね”とありのままの気持ちを伝えるようにしています。どうして〜〜してくれないの?と追い詰めても、相手はごめんしか言えないですよね。壁際に相手を追いやるようなコミュニケーションをしなくなったのも、彼と結婚して変わったことですね」
今は最高に幸せと言い切れる裏には、それまでにあったたくさんの失敗が関係している。恋人との関係で、相手を責めることも少なくなかったという。
「恋愛がうまくいかないとき、いつも相手ばかりが悪いと思っていました。私はこんな酷い目に“遭わされた”とか、ひどいことを“された”とか、被害者意識ばかり持って。でも、被害者意識って、同時に加害者を生み出すんです。あの人のせいでこんなにうまくいかないんだ、と人のせいにするクセがついてしまうと、そこからはもう発見が生まれなくなる。積極的に学ぼうとせず、自分ってこんなにかわいそうという気持ちに浸ってしまうことになります。
私自身も、ものすごく被害者意識に囚われてきた過去があるので、そういう気持ちを持ってしまうのはすごくよくわかるんです。でもその上でやっぱり、被害者意識は捨てるべき。被害者でいると、周りが同情してくれて、それに居心地の良さを覚えてしまって。でもそうしているうちに、同情されることでしか自己肯定感を満たせなくなってしまうんです。どれだけ周りが親身に相談に乗ってくれても、そこで満足してしまって何かを変えるアクションを起こそうなんて思えなくなる。そうやって同じ不幸を繰り返すという負のループにはまってしまうんです。そうならないためには、他人と比べた自分ではなくて、自分自身を見つめること。誰かを基準に考えるのではなく、自分自身の心の声を聞くことで、自ずと幸せが見えてくると思います。
なんて偉そうなことを言っているけれど、私自身も完璧に被害者意識とさようならできているわけではありません。だからこそこうやって口に出して、本に書いて、日々心がけるようにしています。人間ってなかなか変わらないから」