今モード界で注目を浴びているAMBUSH®を手がけるYOON。
東京からどのようにして世界に羽ばたくことができたのか。これまでを語ってもらった。
※本企画は全編スマホで撮影したVOGUE GIRL特別増刊号より抜粋
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ブランド立ち上げ当初からカニエ・ウェストやファレル・ウィリアムスといったセレブが愛用。その後パリでの発表をスタートさせ、渋谷に路面店をオープンし、若手デザイナーの登竜門、LVMHプライズのファイナリストに。ついには昨年ディオール メンのジュエリーデザイナーに就任した。AMBUSH®のデザイナー、YOONがこの10年の間に歩んできた軌跡を振り返ると、まるでシンデレラストーリーのようだが、東京を拠点とする彼女がどうやって世界に名を轟かせることになったのか。ショップの上階に構えるオフィスで話を聞いた。
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未知の東京で自己アピールし人脈を広げていった。
韓国で生まれたYOONは、父親の仕事の関係で世界中を転々とした後、アメリカのシアトル郊外で中学、高校時代を過ごす。
「90年代半ばのシアトルはグランジブームで暗いムードが漂っていたこともあり、『ヴォーグ』で繰り広げられるNYを中心とした華やかな世界に憧れました。お金がなかったので、放課後に図書館でアルバイトをして、そこで借りたファッション雑誌を読みふけっていたものです」
当時ファッションはあくまでもファンとして楽しむものだった。ボストンの大学に進んでグラフィックデザイナーとなり、NYでステップアップすることを考えていたとき、そのころに出会ったパートナーのVERBALに東京行きを勧められる。「日本語はできないし、ちょっと大変そうだな、と思ったのですが、もし合わなかったらアメリカに戻ればいいし、一度行ってみようかな、と。同じアジアの韓国に住んだこともありましたから。来日してから1年語学学校へ行き、あとは実際に使ってみることで徐々に話せるようになっていきました」
引き続きグラフィックデザインを手がけていたが、VERBALがスタートさせた音楽ユニット、m-floの活動が盛んだった時期。VERBALのスタイリングを手伝うようになる。
「ヒップホップのカルチャーがまだ日本では浸透していなくて、プロのスタイリストさんに頼むと、ラッパーだからジャージー、といったステレオタイプなスタイルになりがちでした。私はスタイリストの勉強をしたことはないのですが、彼が好きなテイストやブランドを知っていたので挑戦してみたんです。次第にファッション関係者の知り合いが増え、日本によく来ていたファレル・ウィリアムスやカニエ・ウェスト、ヴァージル・アブロー、キム・ジョーンズたちとも知り合いました。ヴァージルはカニエとともにフェンディでインターンをしていて、一緒に行動していたんです。カニエのブランドを手伝っていたキムとは、VERBALが参加しているTERIYAKI BOYZ®のバックステージで出会って以来仲良くなりました。イギリスに行くときは必ずと言っていいほど連絡を取り合っていましたね。彼らがみんな今、世界のトップになっているのは、何だか不思議な感じがします」 -
こうして、すでに活躍の場を広げていたVERBALを通してコネクションが広がっていったが、YOONは自分自身でも存在をアピールしていった。その舞台となったのがそのころ、東京でも盛り上がりをみせていたクラブカルチャーだ。
「2006年にオープンした南青山のクラブラウンジ、“ル・バロン・ド・パリ”で毎晩のように遊んでいました。いろいろな業界の人たちがたくさん集まっていたのですが、頑張って目立たないと自分をアピールできない。誰が一番なのか、というファッション対決みたいな感じもありました。髪をピンク、紫、赤にと次々替えたりして、今振り返るとちょっと恥ずかしいくらい、とりあえずド派手にしていましたね(笑)。でも、そのおかげでいろいろな人たちとつながることができたんです。ファレルが手がけるブランド“ビリオネア・ボーイズクラブ”のPRを手伝ったり、カニエの日本でのプロモーションをオーガナイズしたりもしましたが、私がこの時に築いた人脈を皆が認めてくれていたからではないかと思います」 -
勉強のためにチャレンジする。そしてステップアップしていく。
そんな中、VERBALのステージのために作ったジュエリーが評判を呼び、本格的にブランドをスタートさせることに。ただ、ジュエリーを勉強したことはなかったし、業界のシステムもよく知らなかった。
「ググって調べたり(笑)、いろいろな人に聞いてまわったり。ファッションも学校で学んだことはありませんが、気になったことはメゾンブランドからサブカルチャーまで独学で勉強していました。一時期ロカビリーにはまった時は歴史をとことん調べたり。そして今思えば、スタイリングの仕事やファレルのブランドのPRを手伝ったことなど、勉強になるかな、と思って挑戦してみた経験が役に立ちました。クラブでたくさんの服を着ていたときに味わった楽しさも、リアリティを追求する服作りのベースになっています」数シーズンは東京でのみコレクションを発表していたが、あまり率直な意見を聞くことができない日本のファッション界だけで仕事をしていては自分が成長しない、とパリでの発表を決意する。
「何がいけないのか、その理由を教えてもらって次のシーズンに生かしたかった。失敗するかもしれないけど、たくさんのブランドが参加するファッションの本場へ行ってもまれないと次がない、と思ったんです。チャレンジが好きなんですよね。作ったものをお客さまに買ってもらい、次のシーズンの予算アップにつなげていく。ビジネスをどんどん大きくしていかなければ意味がありません」
チャレンジ精神、自己アピール力、そして向上心。それがYOONを東京から世界へ羽ばたかせた要素だった。華やかに成功への道を歩んでいるように見えて、彼女が何度も「勉強」と口にしていたように、それらにはたくさんの努力を伴ってきた。そんな彼女が次世代に伝えたいこととは。 -
初の路面店「AMBUSH® WORKSHOP」は2016年にオープン。片山正通がインテリアデザインを手がけている。2019年春夏は「WAVES」と題し、ナチュラル指向のビーチ・ライフスタイルを提案。ハワイ島に行って影響を受けたことがきっかけとなっている。
失敗を恐れず、自信を持って日本独自の文化をどんどん発信していってほしい。
「かつては世に出るためにはコネクションをつくって人に紹介してもらって……という過程が必要でしたが、今はSNSで容易に自分の世界観を表現することができます。せっかく便利なプラットフォームがあるのだから、どんどん発信していってほしい。そういう人たちがたくさん出てくれば海外からも注目され、ムーブメントになると思うんです。もし失敗したら消せばいいじゃないですか(笑)。そして、日本のいいところも知ってほしい。たとえば裏原宿のカルチャーはイギリス発祥のパンクを再解釈し、新しく見せたもの。ギャルブームを牽引した“109ブランド”は、ハイブランドのエッセンスを手頃な価格のアイテムに落とし込んでいて、ファストファッションの先駆けだと言えます。その他ロリータ系など、日本人は海外から取り入れたものを自分らしく作り変えるのが得意なんです。そして世界の一歩先を進んでいる。今K-POPやKビューティーに押されがちなところがありますが、人の真似をするのではなく、独自の文化を生み出していってほしいです」
スマホに 貼って 個性を アピール!
AMBUSH® × VOGUE GIRL 特製ステッカー。東京発ブランドとして今、世界のファッション界からも熱い注目を集めるAMBUSH®。
クリエイティブ・ディレクターのYOONが、VOGUE GIRL 5周年を記念してオリジナル・ステッカーを制作してくれました。